ライプツィヒからベルリンへの帰りに、寄り道するならどこがいいか、友人に相談しました。
いくつかの候補を挙げてくれましたが、電車1本で1時間もあれば行ける Torgau トルガウに決めました。そこからベルリンに帰るなら、電車のなかが空いていて静かだから、というのもお勧めの理由の一つでした。
トルガウについては、名前はどこかで聞いた気がするけれども、どんなところなのか全然、知りません。

駅につくと、小さな駅舎があったので、インフォメーションがあるかもと思って、中に入ってみました。そこには、2人の職員さんがいましたが、今どき珍しく、とても無愛想でした。昔はドイツの人たち、こんな感じだったなあと(私の限られた経験内の)記憶がよみがえります。


インフォはあるのか聞くと、「市役所に」と迷惑そうに言われたので、とりあえずそこまで歩いてみることにしました。

スマホの地図を見ながら歩いていると、EDEKAから出てきた買い物客が、わざわざ近づいてきて声をかけてくれました(おお、親切!)。


市役所がある Marktplatz マルクト・プラッツ(中央広場)のほうへ向かっていると、教会の塔が見えたので、入ってみることにしました。
教会の前の通りでは、ゴミ拾いをしている女性がいました。そういえば道がきれいです。さっきの買い物客といい、この女性といい、町の印象というのはこういう小さなことで変わってくるので、おもしろいです。



この女性はだれなのでしょう。とても大事にされていることがうかがえます。

教会を出てさらに進むと、お城が見えましたが、後回しにして、スマホを見ながら、ルターに関係のありそうな Katharina‐Luther-Stube カタリーナ・ルター・シュトゥーベ(部屋)へ向かいました。







聖マリア教会に石碑があったのは、このカタリーナのものでした。教会に葬られているそうです。

5歳で修道院にあずけられ、16歳で修道女の誓いをします。そこでは、ラテン語や読み書き、修道院運営理論として、薬草学、建築学、農学、家政学などを学びます。
しかし、ルターの書物に触発されて、24歳のとき、他の修道女たち8人といっしょに修道院を脱出します。修道女は生涯、結婚は許されませんが、彼女たちは経済力がありませんから、修道院を出れば、結婚をして生きていくほかありませんでした。なかなか結婚相手が見つからなかったカタリーナは、最後にはルターに結婚を提案したとあります。26歳で、42歳のルターと結婚します。
ルターは、ローマ教皇から破門され、皇帝から追放された身でしたが、選帝侯フリードリヒ3世から支援を受けます。ヴィッテンベルクの旧修道院(Augustinerkloster・俗称 Schwarzes Kloster)と広大な土地を与えられて、そこで2人は生活しました。
野菜・果樹・穀物を栽培し、豚・牛・鶏・鵞鳥・羊などを飼育し、ビールを醸造して、さまざまなものを販売しました。また、ルターの執筆活動に関わる学生や脱出した修道女、労働者など30~40人を修道院に下宿させていました。それらの経営を一手に引き受けていたのが、カタリーナでした。
ルターは、病弱だったため遺言書を残していましたが、そこには全財産をカタリーナに譲ると書かれていました。当時の法律で妻への相続は禁じられていため、彼の死去にともない、彼女は46歳のときマークデブルクへ避難して生活します。最終的には、選帝侯の介入により、特例が認められ、ヴィッテンベルクにもどり事業を継続します。
ところが、ヴィッテンベルクにペストが流行したため、幼子2人を連れて、トルガウへ脱出しなければなりませんでした。トルガウの城門前まで来たとき、馬が驚き、馬車から投げ出されたカタリーナは、骨盤を骨折し、悪天候のため衣類が濡れて風邪をひきました。ちょうど医者が滞在していたこの建物に運び込まれたカタリナは、しかし、回復することなく3ヶ月後に53歳で亡くなりました。


カタリーナの偉大さを、東欧訛り(?)で熱く語ってくれた、博物館の受付女性に礼を言って、市役所へ向かいました。


市役所のインフォメーションで観光地図をもらいました。細くて短い道が入り組んでいますが、ルターに関係した名前が多いです。



こちらは、Bürgermeister-Ringenhain-Haus (元市長の邸宅)です。16世紀の建築が残されている博物館です。




Schumuseum 靴博物館 という看板あるので、入ってみました。奥から、若い女性が出てきたので、ここは博物館ですか、と尋ねると、「いいえ、違います。予約すれば、水曜日に親方がガイドをします」とのこと。写真を撮らせてもらって辞しました。




こちらは、Begegnung an der Elbe ベゲグヌング・アン・デア・エルベ(エルベ川での出会い/エルベの誓い)という記念碑です。

第二次世界大戦の終わる直前、4月25日に、ナチス・ドイツを破るために西進してきたソ連兵と、東進してきた米兵とが、エルベ川で遭遇しました。
米兵たちは、自分たちがドイツ兵でないことを示すため、シーツで即席の星条旗を作ったそうです。両国の兵士は、破壊された橋の上を歩み寄り、握手して喜び合いました。写真に残っている握手シーンは、実は、遭遇の翌日に再現されて撮影されたものです。
それから、互いに言葉が通じないなかを、歌い踊って祝ったそうです。ソビエト兵士はアメリカのコーラを、アメリカ兵士はロシアのウォッカを飲んでいるシーンもあります。
Torgau-TV History: “Begegnung an der Elbe” より
しかし、喜びもつかの間、冷戦が始まります。平和のシンボルとなったこの兵士たちは、この後、国家から監視されスパイ扱いされるなど、過酷な試練を受けることになりました。

記念碑の前で少し腹ごしらえをしてから、もと来た道を、お城へもどりました。



門をくぐると、巨大なお城が現れました。一瞬ひるみました。これを観てまわるには、時間も体力も、とても足りそうにありません。

とりあえず正面の螺旋階段だけ、上って、下りて…。





螺旋階段で出合った人によると、火曜日は定休日とのこと。少し残念ですが、同時に、ホッとしました。


駅へもどろうとして、ふと礼拝堂の入口横に目が行きました。ポスターがありました。3階に博物館があるというので、何かわからないけど、のぞくだけのぞいてみることにしました。

そこには、ナチス国防軍の大量処刑についての記録がありました。そういえば、駅から歩いてきたとき、たくさんのソ連兵の墓がありましたが、腑に落ちました。




友人の勧めにしたがって、Torgau 駅からは、バスで Herzberg ヘルツベルク駅へ行きました。



友人のいうとおり、静かな車内でゆったり座って帰ることができました。

