今日は、日本は終戦記念日です。戦争を始めてしまった国であること、おびただしい犠牲を出しながら、なかなか戦争をやめることができなかったことを、改めて思います。
今の世界を見ていると、せめて、戦争を始めない、戦争をしようとする為政者を選ばない、戦争はやめてと表現できる国にし続けることが、どれだけ大事で、難しいかを思い知らされます。
さて、今日は最高気温36°Cという予報が出ていて、朝から日差しが肌に痛いほどです。
土曜日ですが、道路工事や建設の現場では、直射日光を浴びながら働く人たちがいます。ご苦労さまです。
できれば家にこもっていたい日ですが、夫とともに、敢えて遠出をすることにしました。
先日、訪れた Spreewald シュプレーヴァルトに、民話や標識の文字が紹介されていた Sorben ソルブ人のことを調べていたとき、その収穫祭が今日、行われると知ったからでした。




収穫祭が行われる Cottbus コットブス へ向かって、電車を乗り換えます。

Cottbus 中央駅から、収穫祭の会場の Ströbitz シュトリョービッツまで、トラムで移動します。


Ströbitz シュトリョービッツでトラムを降りて、10分ほど歩いて、収穫祭が行われる Wilhelm-Nevoigt-Platz ヴィルヘルム・ネヴォイクト・プラッツ(広場)へ着きました。
しーんと静まり返っています。ほんとうに今日、収穫祭があるのか、不安になります。
ドイツ鉄道は遅延しやすいため、1本(1時間あまり)早い便で来たので、まだ早すぎなのでしょう。待ってみることにしました。
収穫祭の名前は Hahnrupfen ハーン・ルプフェン(雄鶏むしり)という残酷な名前です。どんなものか、想像できませんが、こんなかわいい鶏が置かれているなら、そこまで酷くないのかもしれません。





私たちより一足先にきた観光客がありました。この人は Chemnitz から訪れたそうです。これまで、ソルブの町々をたくさん旅行してきたそうです。収穫祭のあいだ、この人からいろいろ話を聞くことができました。
話をしていると、Wilhelm-Nevoigt-Platz 広場のすぐ前の家から、人が出てきました。この写真を見せたいといって。

Hakenkreuz ハーケン・クロイツ(鉤十字)の旗がはためいていますが、確かに、この Wilhelm-Nevoigt-Platz の広場です。前面に植えられたセイヨウボダイジュの幹がまだ細いので、それから時代を経たことが感じられます。
そうこうしているうちに、徐々に人が集まってきて、収穫祭の準備が始まりました。
ひとりの、乗馬服に身を包んだ青年に、中に入って見ても構わないかと聞くと、反対に、日本語で「あなたたちは日本人ですか」と聞かれました。
なんと Gymnasium ギムナジウム(約10歳から18歳・19歳が通う、進学するための学校)で、日本語を習ったそうです。Cottbus が日本の都市とパートナーシップを組んでいて、彼は、日本の高校に短期留学したこともあるのだそうです。たぶんこの学校でしょう。



この収穫祭は、刈り取ったばかりの畑の上で行われるそうです。馬に乗って、雄鶏の頭をむしりとった男性が、その年の Erntekönig エアンテ・ケーニッヒ(収獲王)になり、目隠しをされて女王を選びます。
そして、参加者みんなで踊って、宿屋へ移動し、宴会をします。そこでは、雄鶏が競りにかけられ、優勝した雄鶏の持ち主の家に、樫の葉のリースが立てかけられる、ということでした。(Solbisches Kulturlexikonより)
1時間半ほど畑に留まりましたが、体力の限界を感じて、カンパをしてその場を後にしました。


次に、ソルブ人の歴史・文化を紹介している Wendisches Museum ヴェンディッシェス・ムゼウム(ヴェント人博物館)に向かいました。


ここで気になるのが、なぜ Sorbisches Museum (ソルブ人博物館)ではなくて、Wendisches Museum (ヴェント人博物館)なのか、です。
ソルブ人というのは、西スラブ民族を指すことばで、ドイツの少数民族として認知されています。
その人たちのことをドイツ人は、Wenden ヴェンデン(ヴェント人)と呼びました(外称)。ソルブ人たちは、自分たちのことを母語で「Serby セルビー」「Serbja セルビア」と呼んでいたそうです(内称)。そして、Wenden はある意味、蔑称でもありました。
1945年以降は、権利擁護団体が「Sorben ソルベン」という呼称を推奨してきたので、Sorben が一般的になりました。しかし、ここ Spreewald や Cottbitz あたりの低地ソルブの高齢者たちは、それを恩着せがましく感じて、「Wenden ヴェンデン」と名のり続けたのだそうです。

ドイツ人に尋ねるとたいてい、低地(北部)ソルブ人のことは Wenden と呼び、高地(南部)ソルブ人のことを Sorbenと呼ぶ、という答えが返ってきます。
















ソルブ人たちは、遠い昔から同化の圧力を被ってきていて、ほとんどの地域で、ソルブ語は禁止され、消えていきました。(たとえば、Halle ハレには、8世紀にすでにソルブ人について言及されている文献があるのだそうです)
この地域にだけ残ってきたのには、いろいろ理由がありますが、説明するのに時間がかかるので、それはまた別の機会に譲ります。
ところで、この地域は、先日、歴史博物館で見た、大規模な褐炭採掘の地域と重なっています。


そのために、村が消滅した地域でもありました。
これは、ヴェント人博物館内のビデオの一部です。褐炭採掘の犠牲となった村のことをダンスで表現しています。
これはラウジッツの褐炭掘削のビデオです。8分付近に機械が動く様子が残されています。
Braunkohleabbau in der Lausitzhttps://www.youtube.com/watch?v=nBITez5WVpw
博物館を出て、Cottbus の町をすこし歩いて、帰りました。






ドイツ鉄道は、往きはあまり遅れませんでしたが、帰りは結局、1時間半近い遅れになりました。

帰宅して、Sorbisches Kulturlexikon ソルブ人辞典を読んでいて、ソルブの民話には「Krabat クラバート」がしばしば登場する、ということを知りました。

『クラバート』偕成社(1980年)

私も「Krabat」のドイツ語版を持っています。かつて、通勤の車のなかで毎日、そのオーディオ・ブックを聴いていたのを思い出しました。
水車小屋で、黒魔術が伝承されていく、この物語のなかには、たしか、博物館の影絵にあった Osterwasser オスター・ヴァッサーなどの伝統行事も言及されていました。
『Krabat』Arena Verlag(1971年)
Krabat / Otfried Preußlerhttps://www.preussler.de/klassiker/krabat/
それをもとにした映画も2008年に公開されているようです。
それ以前にも、1975年に映画が作られていました。別のタイトル『Die schwarze Mühle 黒い水車小屋』だったそうです。
Die schwarze Mühle (1975) ganzer Märchenfilm Full HD – YouTube

