午後もあまり暑くはならないだろうということで、ザクセンハウゼンに行くことにしました。暑くないから行くなんて、どうなの、その態度、と言われながら。
行き先を調べると、Oranienburg オラニエンブルク(ベルリン郊外、Frohnau をさらに行った先)だそうです。
どこかで聞いた地名です。そういえば、図書館で借りた子ども用の歴史本に出てきた気がします。メモしたノートを開くと…。




Großer Kurfürst グローサー・クアフュアスト(大選帝侯、ボーデ博物館のエントランスにいる人です。Fehrberlin の戦いで勝利したあと)の、最初の妻 Louise Henriette von Oranien ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエン に関係がありました。
大選帝侯は、三十年戦争で荒廃していく国を立て直したいと考えていました。
一方、Louise ルイーゼは、裕福で強力なオランダ王家の女性でした。大選帝侯は、彼女と結婚することで、膨大な持参金と、軍事的抑止力を得ることができました。
また、オランダは、運河建設・土木・農業などに関する先進国でした。ルイーゼは、それらの先端技術をブランデンブルクにもたらしました。
大選帝侯は、ルイーゼのために建てた城を、彼女の実家の名前を冠して、Oraninenburg (オラニエン城)と名づけました。


駅から歩いて現地に向かっていると、なんと猟銃販売店がありました。




ベルリンでは見かけないスーパーのチェーン店もあります。


歩くこと20分弱。標識がありました。














効率的な監視と、徹底的な管理のため、考え出されたのがこの三角形だったそうです。






この二つの棟は、地下でつながっています。





地下には、キッチンや死体安置所、医療実験室があったとされています。



ソ連兵の捕虜の多くは、銃殺されたそうです。
以前、別の文脈で、Genickschuss (うなじへの銃撃)という奇妙な語句にであって、怪訝に思っていましたが、ここで行われていた特殊な方法でした。
ソ連兵は、身長を計るといって連れてこられ、計測器を後ろにして立ったところを、不意打ちで殺される、というものでした。


日本との関係も記されています。

この塔は、戦後、ソ連によって建てられました。塔の下の銅像は、ソ連兵士が、解放された人々の肩を抱いているイメージだそうです。
この施設全体が、ソ連軍に接収され、特別収容所として再利用されたそうです。
ナチス関係者や、ソ連の政治的反対者などが収容され、飢餓や病気で多くの人が亡くなったそうです。


塔にデザインされている逆三角形を見て、Nollendorf 駅の銘板を思い出しました。あれはこの収容所と関係しているようです。
囚人は、逆三角形のワッペンを付けさせられ、色分けされていました。同性愛者はピンク色の逆三角形だったそうです。

こちらは、収容所が広がっていく様子を表したものです。

1941年にはすでに、Wilmersdprf ヴィルマースドルフには、Außenlagerアウセン・ラーガー(外部収容所)が、Kastanienallee カスタニエン・アレーには、Außenkommando アウセン・コマンド(外部労働隊)が、設置されていたそうです。
何年も前から日常の中に入り込んでいたことが想像できます。
当初、収容されたのは、ナチス体制に反対する政治犯だけだったそうです。やがて、ユダヤ人、ロマ人、同性愛者、戦争捕虜など、多くの外国人が捕らえられるようになったそうです。




資料を読むたびに、殺されるほうにも、殺すほうにも、自分の意識が置かれて、自分の弱さに向き合わされるような時空でした。
入口の松林には、古いものから新しいものまで、さまざまな国の記念碑や銘板がありました。





