Deutsches Historisches Museum ドイチェス・ヒストーリッシェス・ムゼウム(ドイツ 歴史博物館)

歴史

今日は、ベルリンの壁が建設されて65年の日でした。

1961年8月13日(日)午前1時過ぎに、予告なく電気や交通が止まり、有刺鉄線が敷かれ、石畳の掘り起こしが始まったそうです。

65周年を記念したイベントが、水曜から月曜までの6日間、ブランデンブルク門前の広場で行われます。

けれども、私たちはそちらには行かないで、Deutsches Historisches Museum ドイチェス・ヒストーリッシェス・ムゼウム(ドイツ歴史博物館)に行きました。

月に一度、入場無料の日があって、ドイツ語のグループガイドにも参加できます。

Unter den Linden ウンター・デン・リンデンに面したバロック建築のZeughaus ツォイク・ハウスの建物は、大規模リニューアル中で閉鎖されています。

併設されている新ホール、Pei-Bau ペイ‐バウの展示を見学できます。(すみません。建物外観の撮影を忘れてしまいました)

グループガイドは2種類あって、2階の「自然とドイツの歴史」と、1階の「オブジェクト・歴史・物語」です。

今日はまず、2階のガイドを体験しました。中世から現代までのドイツにおいて、自然と人間との関係を考えるものでした。

中世:自然は、神による創造物という宇宙観です。神の意志が宿る場所と捉えられました。

『Grünkraft 緑の力』 13世紀 植物が 咲きほこり しおれていく様子だそうです。
『Weltei 世界卵』 宇宙は、卵の殻のなかのように閉じられた、神の愛に包まれた、温かい一つの生命体と考えられていたそうです。
『Weße Taube 白鳩』キリスト教において重要な聖霊のシンボル
神の啓示が女性に舞い降りた瞬間だそうです。炎は、破壊の象徴ではなく、神秘体験や聖霊のエネルギーを表していて、文字を書き起こせという神の命令がくだされた場面だそうです。

中世後期:すでに自然への介入が始まります。環境維持のルール作りの証拠が残されています。

ボーデン湖で漁をする集団名が書かれています。
収獲した魚の数量だけでなく、それぞれの魚の大きさや年齢もチェックされていたそうです。
当時の釣り針

近世:自然は神秘性が薄れ、科学的探求の対象になります。戦争や疫病のなかで、自然は管理され資源としての活用が進みます。

『地球のリンゴ』1892年
30年戦争の残虐さや、飢餓や疫病の厄災を象徴する存在として、狼が描かれています。
また、実際に家畜を襲う、駆除すべき害獣でもありました。

19世紀:自然は、文化・人間社会と対立するものとして捉えられます。

植民地化の時代、未開の土地は、文明化されるべき空間として描かれています。
しばしば氾濫をおこす、曲がりくねった河川は、捷水路(しょうすいろ)工事がなされます。水量がふえ、流水が高速になり、距離が短縮されて、船舶輸送に有利になりました。
しかし、そのような工事によって、消滅の危機に瀕した動植物がたくさんありました。ひっそり消えていったもののひとつが、ヨーロッパ・沼ガメです。
樫の木は、ドイツ国民の強靭さ、不屈さを表現します。森林は、管理されるものとなった一方で、森の幼稚園にみられるように、文化や教育と強く結びついています。
『Germania ゲルマニア』は、1848年革命のとき描かれた、民族統一の寓意像です。ゲルマニアの頭には、樫の葉を編んだ王冠があります。

20世紀:ナチス期の歪んだ自然観から、東西それぞれの環境運動、人新生への展開が提示されています。

Reichsautobahn ライヒス・アウトバーン(帝国高速道路)は、ナチス政権下で建設されました。
「Nürnberger Blutschutzgesetze ニュルンベルガー・ブルートシュッツ・ゲゼッツェ(ニュルンベルクの血の保護(人種)法)」 自然を愛し、景観を守る、という政策は、優生思想と表裏一体でした。
高速道路の建設には、囚人が強制動員されていました。

こちらは、褐炭の掘削につかわれた機械の模型です。

大規模な採掘により、家屋の立ち退きで村が消滅し、自然破壊が深刻になりました。大地は、草木の生えないクレーターと化し、地下水が減少し、硫黄が空気や河川を汚染しました。

バケットチェーン式クローラーショベル「ERs 700」の模型、マクデブルク、1953年/1956年。このような掘削機は、1890年代以降、ラウジッツ褐炭採掘地域で使われていたそうです。

汚染された地域には後に、アメリカ赤ハンノキが植樹されました。

肥料のない場所でも、空気中の窒素をとりこんで自ら栄養素を作り出し、強酸性の土地でも影響されず生育し、土中の重金属を無害化するのだそうです。こうして植物による環境浄化が行われました。

博物館を出ると、壁記念日だからでしょうか、DDR時代の車 Trabant トラバント(愛称Trabiトラビ)が走っていました。車体は、綿フェルトと合成樹脂で出来ていたそうです。

帰りの駅までに、Wolkswagen フォルクス・ヴァーゲン社の店舗が見えたので、入ってみました。経営不振によるリストラや工場閉鎖が計画されていて、労使の厳しい対立が伝えられています。

ポーランドから修学旅行生たちが訪れていました。