Zehlendorf Waldsiedlung ツェーレンドルフ・ヴァルトシードルング (オウム団地)

くらし

昨日はショッキングな事件が起こりました。

ベルリンのブランデンブルク門のそばで、CSD クリストファー・ストリート・デイ(1969年・ニューヨーク)を記念する、LGBTQ+の人たちのデモ行進 プライド・パレードがありました。

その会場近くの人たちに車が突入し、女性1人が亡くなり、大勢が負傷しました。

私も、つい先日、Nollendorf ノレンドルフのお祭りに行ったばかりです。巻き込まれた人たちは、あのとき通りで、すれ違った人たちだったかもしれません。

ニュースは、その事件で持ちきりでしたが、よろこばしい話題もありました。

Zehlendorf Waldsiedlung ツェーレンドルフ・ヴァルトシードルング という、Bluno Taut ブルーノ・タウトらがデザインした団地が、(すでに登録されているベルリンの他の6か所に加えて)世界文化遺産に登録されました。

この建物は、なんと470mも途切れずに続いています。
どのアパートも庭がとても広いです。もともと生えていた樹がそのまま残されています。
「この住宅団地は、1926年から1931年にかけて、GEHAG(モダニズム集合住宅を手掛けた公営住宅建築会社)によって建設された」

当時は、ベルリンは、急激な工業化により、労働者が爆発的に増えたため、住宅難が深刻でした。日当たりや風通しの悪い住環境のため、病気も蔓延したそうです。

そこで、光と空気を採り込み、既存の自然を壊さない、新しい住宅を建設する事業が立ち上がりました。その一つが、Zehlendorf Waldsiedlung ツェーレンドルフ・ヴァルトシードルング です。

色とりどりなところから「Papageisiedlung パパガイエン・ジードルング(オウム団地)」とも呼ばれているそうです。もともとはナチスによる侮蔑の言葉だったそうですが、団地の住人たちは敢えて好んで使ったそうです。

「建築とは均衡の芸術である ブルーノ・タウト 1880-1938」
「この家は、白樺・松・花そして草地もその一部である」
オンケル・トムズ・ヒュッテ 駅 (この名前は、この団地が出来る前にあったビアガーデンが Toms Hütte と呼ばれていたことにちなんでいるそうです。)
これは、以前、Waldmeister ヴァルトマイスターを買いに Onkel Toms Hütte の青空市場に来たとき、事情を知らないまま撮った写真です。まさに、Bruno Taut ゆかりの駅だったのですね。
青で囲まれた区域が、Zehlendorf Waldsiedlung と呼ばれる住宅地で、今回、世界文化遺産に指定された場所になります。
伐採した枝をその場でチップにしています。
屋根のすぐ下の小窓からは、部屋の内側が見えて、天井には採光用の天窓がありました。部屋が明るくなるよう工夫がされているようです。
伝統的な傾斜した「切妻屋根」派と、ブルーノ・タウトらの平らな「陸屋根」派の対立は、「屋根戦争」 と呼ばれたそうです。陸屋根は、ナチスによって非ドイツ的とされ(タウトは日本などに亡命し)ましたが、戦後は、高い評価を受けることになりました。
Am Fischtal 通りを境に、伝統の切妻屋根建築と、タウトらの陸屋根建築とが向かい合っていました。