Hamburg ハンブルク を旅行する

観光

Bremen ブレーメンの友人夫婦が、60歳の誕生日祝いに招待してくれました。Weser ヴェーザー川の遊覧船上でのパーティです。

ベルリンから ブレーメンまでは、ICE イー・ツェー・エー(新幹線みたいな特急列車)を使っても、3時間はかかります。どうせ行くならというので、近くの Hamburg ハンブルク観光もすることにしました。

ベルリンと ハンブルクの間には、FrexTrain フレックス・トレインの運行があることがわかりました。

FrexTrainは、ICE と比べると、時間はほとんど変わりませんが、価格が(早く予約すれば最安で)3分の1ですみます。しかも、それには指定席料金も含まれています。

安さの秘密は、1960年~1990年に製造された古い客車を、座席などをリニューアルして再利用しているということです。

駅のホームと電車とのあいだが、かなり空いています。乗車口は細く急な階段で、乗り降りに負担がかかります。しかも扉を開けるレバーは、重く固く動作が複雑で、女性の手ではなかなか開けられません。乗車口に見えているのはトイレですが、バリアフリー仕様ではありません。

デメリットは、騒音が大きいこと、遅延が多いこと、トイレが狭く、終点近くなると床が水たまりになること、乗降するのに体力が要る(?)ことです。それらが気にならなければ、節約の旅には強い味方です。

Hamburg ハンブルク駅

駅について、コインロッカーに荷物を預けました。旅慣れない私たちは、アプリで施錠・解錠するのにもモタモタし、他の利用客を待たせながら、なんとか手続きしました。

まずは、とりあえず、有名な世界遺産の倉庫群のある場所まで、バスで移動です。

川と倉庫ビルが、交互に現れます。
倉庫群の一角に、博物館がありました。
当時、使われていた秤などが置かれていました。
水路と陸路に接するこのビルが、いかに保管や運搬に機能的であったかなどの説明
コンテナに、スマホほどの小さな窓があるので、のぞいてみると、中には…。

精巧に作られた住宅の部屋がありました。歳をとっても、こういうのにはトキメキます。

街なかを歩いて移動して…。

東京通り
大阪並木道

Chilehaus チリハウス へ。

海運貿易商の Henry B. Sloman によって建てられました。長年チリでビジネスをして富を築いたので、こう名づけられているそうです。
建物の一端が、船首のように尖っています。(この写真は尖りすぎです!!)
出入り自由の美しい螺旋階段は、最上階まで上りました。

こちらは、Trostbrücke トロスト・ブリュッケ(救いの橋)です。ハンブルクは橋が多い町ですが、そのなかでも最古のひとつだそうです。

この Trostbrücke トロスト・ブリュッケのことが、すでに1266年には古文書に書かれていたそうです。教会のある旧市街と、貿易の新市街を結んでいたとあります。

宿泊は、郊外のとんがり屋根の戸建て住宅を間借りしました。通りはメルヘンの名がついています。

灰かぶり姫通り
赤ずきんちゃん通り

白雪姫通り

次の日は、駅構内のあちこちで見かけた、この帽子をかぶった男性の秘密をさぐりに行きました。

この像が立っている付近で、そのいきさつについて、年配女性たちに尋ねましたが、よくわからないという返事が返ってきます。やっと4人目の女性が話してくれたのは…。

子どもたちが、フンメルさんの後ろからついて回り、はやし立てているところ。

この男性 Hans Hummel ハンス・フンメルさんは水くみ人でした。ハンブルクに水道システムが導入され始めるころの実在の人物です。

彼はいつも、バケツをもっていて両手がふさがっているため、無抵抗なので、子どもたちがからかいます。子どもたちが「フンメル、フンメル」とはやし立てると、フンメルさんは「Mors Mors モルス モルス(尻、尻)」 と罵り返します。

その像がある広場の、向かいの建物には、こんな少年も。
観光名所のあちこちに、フンメルさんが立っています。
フンメルさんのことを知りたかったのですが、歴史博物館は、まだ閉館中でした。

次に、Bunker ブンカー(防空壕)跡を訪れました。

足をひきずりながら(笑)上まで階段を上って下りました。

ナチス時代に建造された、この防空壕は、戦後、イギリス軍によって解体されようとしていました。

しかし、あまりに巨大な建造物なので、解体作業による周辺の住宅への被害が大きくなることや、戦災による住宅不足が深刻だったことで、破壊を免れ、再利用されました。

となりの St. Pauli Humburg のサッカー競技場の壁には、「Blitzhuset graffiti (ブリッツ・ハウス・アート:反ファシズム・反権力のメッセージ)」や「Gegen Rechts (極右に反対)」の文字が見えます。

St. Pauli Humburg のホームグランドを横目に歩いて、歓楽街へ向かいました。

船員相手の風俗店や、ナイトバーなどが並んでいた通りです。今でもそういうお店が並んでいます。店の前に立っていたおじさんがわいせつなことを言ってきました。
ビートルズの記念碑を見ようとおもって、ここまで歩きました。
この通りには、ビートルズゆかりのお店があります。

ビートルズを後にして、地下鉄で、Alte Elbetunnel アルテ・エルベ・トゥンネル(旧エルベ川トンネル)へ向かいました。

水面下24メートルのトンネルです。いまは歩行者と自転車が、無料で通行できます。
大きなエレベーターがひっきりなしに稼働しています。
全長はおよそ426メートル。歩いて行くと、当然ですが、歩いて帰ってこないといけません。
トンネルの向こう岸を上がると、日本の企業がありました。
船舶関係の会社のようです。がんばって!
エルベ川の向こう側には、遠く Elbphilharmonie エルプ・フィルハーモニーが見えました。水に浮かんでいるみたいに見えます。

トンネルを往復したあとは、国際海洋博物館の前のベンチで、宿で作っておいたサンドイッチと果物を開いて、腹ごしらえをしました。

伝説の海賊 Klaus Störtebeker クラウス・ シュトーテベッカーの像。川向こうに見えるのは、Internationales Maritimes Museum Hamburg 国際海洋博物館。

そして、Elbphilharmoie エルプ・フィルハーモニーへ向かいました。

入口の巨大なエスカレーターで、一気に6階まで上り、建物下部のレンガ部分を通過します。
中間部分にある、パノラマ・ウインドウ
船の行き来を眺めてのんびりする人たち

演奏のガイドを聞けるというので、すでに終わりそうでしたが、少しだけ参加して聞きました。

演奏の1時間前から、その日の演目についてのガイドが行われます。

休憩時間には観客席を見てまわりました。普通のホールは、一旦、ドアの外に出なければ、異なる階へは移動できないものですが、ここは、ホールのなかを最上階まで、全部ぐるぐる歩いて上ることができます。

細い円柱の壁は、その奥にパイプオルガンが隠れています。
穴の空いた壁の奥にも、パイプオルガンのパイプが見えます。

音響のことは、専門的なことは私にはわかりませんが、個別の楽器の音色の細やかな異なりまで聞き分けられそうなほど、直接的に明快に聞こえる気がしました。残響が多いホールでは、残った響きの音程がずれて不愉快なときもありますが、そういうものが全くなくて、きれい過ぎるほどでした。

その翌日は、Hamburger Kunsthalle ハンブルガー・クンスト・ハレ(ハンブルク美術館)をざっと見て、Bremen へ向かいました。

さらに、Bremen からの帰りにも、Hamburg 駅で下りて、Kramer-Witwen-Wohnung クラマー・ヴィットヴェン・ヴォーヌンク(クラマー商人組合の未亡人の家)などに立ち寄りました。

19世紀の住居が残され、その一室が公開されています。
階段は、傾斜が急で、板が細いので、後ろ向きでなければ下りられませんでした。
小さなベッドです。背丈はどのくらいあったのでしょう。尿瓶のようなものが(イメージのため?)置かれています。
3階の窓から
屋根裏部屋
Kramaramt クラマー・アムト(クラマー商人組合)のギルドマーク

こちらは、未亡人の家1階の古書店にあった本です。

『Struwwelpeter シュトルッヴェル・ペーター(もじゃもじゃペーター)』という、1845年に出版された、ドイツ初のしつけ本(とても残酷)がありますが、それをもじっています。

Struwwelhitler シュトルッヴェル・ヒットラー
『Der Struwweldonald デア・シュトルッヴェル・ドナルド』

こちらはハンブルクの市庁舎です。豪華です。

市庁舎の中庭

(長くなったので、教会は別編に載せます。)

ハンブルクの紋章は、門が閉ざされたお城です。