老人ホーム (Seniorenheim ゼニオーレン・ハイム)

くらし

カラスたちが、ずっと口を開けて歩いています。

日曜日よりは少し気温が下がって、私たちは涼しく感じますが、鳥たちにとってはまだ暑すぎるのでしょう。

ワールドカップで、ドイツは敗退しました。

あまりにも残念な試合だったので、ZDF(ドイツ第二放送)でもトップニュースで、しかも10分以上も報じていました。

Logo(子どもニュース番組)で、ドイツチームのニックネームをかつて募集していたことがあって、それを思い出したZDFのコメンテーターは、「Adler アドラー(鷲)」じゃなくて、残念だが「Kartoffelis カルトッフェリス(じゃがいも)」という名前で応募する、と言っていました。

さて、今日は、光栄にも教会のコーラスメンバーといっしょに、老人ホームの訪問コンサートに行くことができました。

少し早めに行って外で待っていると、いつも練習のとき隣に座って助けてくれるアントワネットさんが、キックボードに乗ってやってきました。

電動ではなくて、日本でも保育園や幼稚園にあるようなものの、大人版です。彼女の住宅までは徒歩で20~30分かかるので、これは便利です。

地下の涼しい部屋で、本番の1時間前に集合して、打ち合わせと練習です。

私がライプツィヒに住んでいたことがあると話していると、ドレスデン生まれだというメンバーが、「じゃ、ザクセン方言がわかるね」と急になまりで話し始めたので、老人ホームの若い男性スタッフが合いの手を入れて、「ベルリンっ子はザクセンなまりが大好きだ」と笑わせるというような雰囲気でした。

集まったメンバーは10名あまり。予定していたのに来れなくなったメンバーの状況を Kantorin カントーリン(教会音楽監督女性)の指揮者が話します。

あるメンバーは、昨日、貴重品が入ったカバンを失くしてしまって、きょうは極度のストレス状態にあるから来れないとのこと。

私たちの年齢になると、そういうことがあります。隣に座った190cmあまりの背たけの女性は、私もそういうことがあったけど、いい人が拾ってくれて、全部もどってきた、と話していました。

建物のなかは、絵や花やさまざまな置物で、きれいに飾られています。コンサートが開かれる広間は、天井に明かり採りの窓があって、南側は全面ガラスで、とても開放的です。

建物内部はプライベート空間なので、写真が撮れなかったのですが、トイレの雰囲気で少し想像してもらえると思います。

大きな体の男性スタッフたちが入居者を車椅子などで連れてきます。50名くらいが集まってきました。

コンサートのための練習は、先週の1回だけでした。

私は、すこし楽譜は読めるけど、ドイツ語がうまく言えないので、今週は口を動かす練習に集中しました。

冠詞や前置詞も含めて数単語のかたまりを抜き出して、100回くらい繰り返すと、少しだけ口が動くようになる、といったような調子です。

たとえば「私の小さな緑のサボテン」の最後は暗譜するように言われていたのですが、「Bewah’n Sie Ihren Kakrus gefällist anderswo!」がリズムどおりに言えなくて、「Bewah’n Sie」だけをまず100回以上繰り返さなければなりませんでした。

ドイツ語で困っていたのは私だけですが、ほかのメンバーもそれぞれ弱点があって、本番前はとくに指揮者の忍耐力が大いに試されます。

自信がないメンバーには、「あなたは歌えてる! その調子で歌って! 大丈夫!!」と、一生懸命に励ましています。

本番は、Kantorin カントーリン(指揮者)の巧みな電子ピアノ伴奏で、うまくいきました。ほんとに見事で、私はすっかり感心していました。

地下室での練習のときに指導されたことなどは、私たちはすぐに忘れてしまうのですけど、本番では、伴奏の変化にひきこまれて、自然に、指導されたとおりに歌っているのです。

強/弱、はずんで/なめらかに、が分かるだけでなくて、息継ぎや、音が切れる場所(「~t」などで終わるタイミングなど)が揃うように、即興でアレンジして伴奏するのです。

全部で16曲あるなかの7曲は、Paul Gerhardt パウル・ゲルハルトという詩人の曲でした。

ベルリンで最古の Nikolaikirche ニコライ教会の Kantor カントールでもあった人です。

私たちの指揮者は、「30年戦争や、ペスト、コレラの疫病の時代に、希望を失くさなかった偉大な詩人で、みなさんも、彼の曲を何曲かはそらんじているでしょう」と紹介していました。

ほんとにそのとおりで、私たちが歌い始めると、入居者の男性のなかには、大きな声でいっしょに歌い始める人もいました。

Manches, was ich erfahre, verkocht ich in stiller Wut, und kam ich wieder zu singen, war alles auch wieder gut.

Nun soll mir nicht mehr grauen vor allem was mit will entnehmen meinen Mut…

といったように、苦しみに寄り添うような、生活のなかの信仰が歌われています。

中庭には池があって、魚がたくさん泳いでいます。
ヤギが飼育されています。
ウサギもいます。暑くて、のびているみたいでした。