Claus schenk Grav von Stauffenberg シュタウフェンベルク

歴史

熊本で、深刻な地震被害が出ていることが、こちらでも報道されています。10年前に、土砂が家屋を襲い、道路が寸断され、人々が亡くなったことがまだ記憶に新しいのに。

きっと猛暑のもとで、救助活動が続けられていることと思います。一刻も早く救出されますように。

今日は、先日の絵画館の帰りに見かけた Stauffenberg シュタウフェンベルクを知るために、ドイツ抵抗運動記念館を訪れました。

Stauffenbergerstraße シュタウフェンベルガー・シュトラーセ(通り)
「ドイツ抵抗運動記念館 1933-1945年のヨーロッパにおけるユダヤ人迫害への抵抗」
ドイツ連邦国防省 (ナチス時代には、陸軍総司令部など軍事組織が置かれていたビル群)
ヒットラー暗殺計画に失敗した人々は、ここで処刑されました。
「1944年7月20日、ドイツのためここに死ぬ」
ここ Bendlerblock ベンドラーブロックでは、今年の記念式典日に、AfDが献花したことに対して、ボーンフェッファーの子孫が、彼らのナチズムに対する姿勢を非難し、献花を取り除こうとして、乱闘になりました。
展示館への入口はこちらです。別の入口に間違って入ろうとすると、そこは国防省で、この入口は武装警備しています、という看板がありました(汗)。
螺旋階段の壁には、たくさんの顔写真がありました。
ほとんどの人のことは、名前も知りません。
左に、横顔を見せて立っているのが、Claus schenk Graf von Stauffenberg クラウス・シェンク・グラフ・フォン・シュタウフェンベルク、中央でこちらに向いているのが、Adolf Hitler アドルフ・ヒットラーです。
「テロ攻撃 1944年7月20日 Wolfsschanze ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)の Lagebunker ラーゲブンカー(作戦会議用地下壕)」
爆破自体は成功しましたが、さまざまな要因により、ヒットラーは奇跡的に生き残りました。
展示物のドイツ語の説明はとても読めないので、テキストを買いました。家に帰ってゆっくりこれを読んで、映画「ワルキューレ」も観て、また来ます。次回は音声ガイドに挑戦することにしましょう。
Stauffenbergerstraße シュタウフェンベルガー・シュトラーセ(通り)を北上すると、エジプト大使館
続いて、オーストリア大使館
そして、Tiergarten ティーアーガルテン に突き当たります。
ティアーガルテンの大通り
公園内の Beethoven-Haydn-Mozart-Denkmal ベートーヴェン-ハイドン-モーツァルト記念碑の周辺では、警察官たちが、ざっと数えても70名以上、動員されていました。
先日のテロ事件の捜索が続いているようでした。
「PSNV・Kreisenintervention 心理社会的緊急ケア・危機介入」被災者や遺族の精神的ケアやトラウマ予防を組織的に行う、レスキュー隊の方が数人おられました。