このところ、14°Cから24°Cという、日本に伝えるのがはばかられるような涼しさが続いています。ニュースでは、早くも冬の暖房の話をしています。ホルムズ海峡封鎖のために、国内のガス備蓄量が減少しているからです。
さて、この5日間はすっかりサボって、外出しませんでした。
本を借りてきて読んだり、近所でポーランド生まれのドイツ人女性と仲良くなったり、教会コーラスの練習が再開して、メンバーに膝痛の悩みを聞いてもらって Arthrose アートローゼ(変形性関節症)という単語を教えてもらったり、という日々でした。
しかし、今日は意を決して、北の町までドイチュラント・チケットで行くために、5時45分に、夫と家を出ました。
計画では、約3時間半で、目的地に到着するはずだったのですが、最初に乗るはずの地下鉄が欠便し、次に乗り継ごうとした地下鉄も遅延しました。もうローカル列車は行ってしまいます。次の便に乗るなら、駅で2時間、待たなければなりません。
そこで行き先を変更しました。ドイチュラント・チケットで、ポーランドに行ける町、Frankfurt an der Oder フランクフルト・アン・デア・オーダーです。
Frankfurt フランクフルトといえば、国際空港のある Frankfurt am Main が有名ですが、こちらの Frankfurt an der Oder は、オーダー川(ポーランドとの国境)沿いにあります。
ちなみに、Furt フルト は、歩いて渡れる浅瀬を意味しているそうです。Oder 川を歩いて渡っていたのでしょうか。今は、橋がかかっていて、それを向こうへ渡れば、そこはもうポーランド、という場所です。
8:30頃、フランクフルト・オーダー駅に着きました。


駅を出ても、人通りがほとんどありません。歩いていると、通りがかりの年配の人たちから、じろじろ見られる感じで、妙でした。
おまけに廃墟がそのまま残されていて、草ぼうぼうです。




列車の中で朝食はすませましたが、コーヒーを飲みたくて、喫茶店に入りました。
肉屋さんが、同じ店の端っこで、喫茶店も経営していました。お肉のカウンターには、お客さんの行列が出来ています。喫茶店のお客さんたちは、コーヒーとソーセージ入りパンを注文しています。お店の人は、職人気質というかぶっきらぼうで、もちろんケーキなどは置いていません。


Stadtbrücke(市街橋)には、欧州旗がたくさん立てられていました。



Słubice スウビツェ市に入ると、国境検問所があります。ウクライナ侵攻からすこし検問が厳しくなって、たまに身分証明書の提示を求められることがあるそうですが、今日は、それらしい担当者は見えませんでした。





ポーランドに入って、しばらくすると、Aldiトークからスマホに連絡がきました。ドイツ国外に出たので、料金体系が変わるという通知でした。また、ポーランドの無料緊急通報は、112番とのことでした。


ウィキペディアの記念碑があるというので、寄ってみました。


地球儀は未完成のパズルで出来ています。

パズルにはさまざまな国の文字が書かれています。ウィキペディアの最初の文字らしいです。日本の「ウィ」は地球儀の頂上あたりに見つかりました。
それから、食料品店に入ってみました。

ためしにケーキを買ってみることにしました。ケーキ店の若い女性は、こちらがドイツ語で話しても、英語で話しても、何も言いませんでした。


ケーキは、はかり売りになっています。彼女がナイフの位置で示しているのを、もう少し小さくして、それでいい、という身振りで伝えて、切ってもらい、買いました。


国境近くに、ポーランド通貨「ズウォティ」の為替レート(対ユーロ・対ドル)が表示されていました。ケーキの値段は、約5.73ユーロ、約1,062円だったようです。





この後、ドイツ側のフランクフルト・オーダーにもどって、観光を続けました。



Frankfurt an der Oder に もどりました。




この平和の鐘は、1953年に設置されたそうです。すぐ横にある碑には「Der Frieden besiegt den Krieg 平和は戦争を打ち負かす」と書かれています。


第二次世界大戦で、ドイツは敗戦国となりました。1945年のポツダム会談では、Oder-Neiße-Linie オーダー・ナイセ・リニエ(オーダー川・ナイセ川線)が、永久的な国境として定められました。
川より東側に住んでいたドイツ人(数百万人)は、土地を追われ、敗戦の破壊されたドイツへ移住しなければなりませんでした。
市役所広場の前には、図書館がありました。


図書館入口のベンチに座った少女は、ディズニーの絵本を読んでいました。


市役所は、もともと小さな裁判所の建物から始まり、13世紀に次々と増築されていったそうです。

いま市役所ホールとして使われている場所は、ハンザ同盟に加盟していた時代に、銀行として建て増しされた場所だったそうです。

地下の建造物が、部分的に残されていて、床に はめこまれたガラスから、のぞき見ることができます。小学生たちは「地下室のおばけ」がいるといって、この場所が好きなのだそうです。


市役所から移動して、高い塔が見える、教会に寄りました。




レオポルド・ランケという人が住んでいた家というのがありました。


最後に、Kleist Museum クライスト博物館を訪れました。Heinrich von Kleist ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777年~1811年)の生涯が記録されています。





館内の展示では、クライストが、挫折を繰り返し、精神的に追い詰められていく様子がうかがえました。

最後は、Kleiner Wannsee クライナ・ヴァンゼーで、自殺を図ります。34歳でした。以前、Bさんといっしょに Wannsee ヴァンゼーを訪れたときに、立ち寄った場所です。
自殺現場に残されていた3丁の武器が展示されていました。



市役所前では、デモの準備が進められていました。若い人たちが集まってきています。年配の人ばかりの町かと思っていましたが、そんなことはありませんでした。大学がありますから、当然です。




