Welterbe Hufeisensiedrung Berlin-Britz ヴェルトエルベ・フーフアイゼン・ジードルング・ベルリン・ブリッツ(世界遺産 ベルリン・ブリッツ馬蹄形団地 )

くらし

いま国連に参加しているドイツ外相と、ロシア外相とが、臨時会談をもったことが昨晩、伝えられました。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、初めての会談であること。
今月6日には、ライプツィヒ空港に爆発物をつんだドローンが発見され、ロシアのドローンであると断定したため、最悪の緊張状態にあること。
アメリカの頭越しに突然もたれた会談であること。

…など、驚きをもって受け止められています。

さて、今日はベルリン・マラソンの日です。世界中から選手たちが集まります。フルマラソンの走者は56,000人以上であったといわれています。大規模な交通規制が数日にわたって行われました。

教会から鐘の音が聞こえたあと、空を舞うヘリコプターの音と、すぐ近所から大勢の歓声が聞こえてきました。やがて、懐かしのヒットソング(?)のコンサートも始まりました。まさにお祭りです。

警官も、直立しているようで、足がリズムをきざんで動いています。
(ご両親にOKをもらって撮影させてもらいました)

夏がもどってきたかのようなお天気です。

夫は「Teufelsee で泳げる最後のチャンスかもしれん」といって、後ろ髪を引かれていたようですが、泳ぐのは諦めて、Bezirk Neukölln ノイケルン地区にある、世界遺産の馬蹄形住宅を見学にいきました。

Blaschkoallee ブラシュコ・アレー駅を降りると、すぐに、それらしい建物が見えてきました。

「ブルーノ・タウト・シニア・クラブ」?
「馬蹄形団地へ」
どうやら着いたみたいです。
思ったよりも、はるかに広い敷地で、池も大きいです。
「Bruno Taut ブルーノ・タウト」と書かれています。

どこかに、Info Station インフォ・シュタチオン(案内所)があるはずと思って歩いていると、カフェに人が見えました。

馬蹄が並べられ、その横には、世界遺産認定書でしょうか、額に入れて掲げてあります。

案内所は、金曜日と日曜日の午後だけ開かれている、とサイトにありました。

それもそのはず、案内所は、住宅の住人が交代で、仕事のない時間に担当しているのだそうです。喫茶店には、2.50ユーロというお手頃価格のケーキが並んでいました。

案内所の喫茶店で接待をしていた男性は、ケーキやコーヒーを運んで忙しくしていましたが、私たちが日本人だと知ると喜んで、内部を案内してくれました。

こちらは、台所です。コンパクトで機能的です。

このテーブルと椅子は、
折り畳めます。
調理台の下に、冷蔵庫が隠れています。

こちらは、バス・トイレです。ボイラで温めたお湯をバスタブに直接、注げるようになっています。トイレは、「使っていいよ」と言われたので、夫が使わせてもらいました。

馬蹄形住宅は、中庭を自由に見学できます。池では、住人でしょうか、連れてきた犬を泳がせていました。

4方向に、中庭への出入り口があります。アパートの建物への出入り口は、外側にあります。アパート地階の住民には、専用の庭もあります。

馬蹄形を突き抜けて出ると、そこには、とんがり屋根の住宅がありました。これもブルーノ・タウトが設計したものだそうです。

労働者のために、安価で衛生的で美しい住宅を作ろうとした、彼のプランは、現在残されているものよりももっと規模が大きかったのだそうです。

もともとあった住宅を解体し、更地にして、建設されました。(先日、世界遺産に登録されたオウム団地が、自生していた松などを残して建設されたのと、この点が異なります。)

写真ではわかりにくいのですが、建設時期は5段階に分けられます。①馬蹄形とその上部 ②馬蹄形より下Parchimer通りまで ③写真右端 ④Fritz-Reuter-Alleeより左 ⑤Fritz-Reuter-Alleeより右の4列、の順です。

しかし、彼は、ナチスによって敵視されたため、建設を中断し、亡命せざるを得ませんでした。スイス経由で日本に亡命し、やがてトルコへ亡命し、そこで亡くなります。

兄弟が意志を引き継ぎ、続いて建設された部分もあるそうですが、プランの全体が完成させられることはありませんでした。

幸いにも、第二次世界大戦ではこの住宅は、わずかな棟が空爆を受けるにとどまったのだそうです。

案内の男性は、いろいろな資料を出してきて説明をしてくれて、最後に「これを差し上げましょう」といって、世界遺産登録章のコピーをくれました。