Das Käthe-Kollwitz-Museum Berlin ケーテ・コルヴィッツ美術館

歴史

Käthe Kollwitz 美術館の閉館日は、日・祝日で、月曜日は開館しています。 年間パスでは入場できない美術館ですが、ほかの博物館・美術館が休館している日に、訪れてみようと思っていました。

Spandau シュパンダウ地区にある Schloss Charlottenburg シャルロッテンブルク城の敷地内にあります。

Käthe Kollwitz は、1867年、Ostpreußen 東プロイセンの Königsberg ケーニヒスベルクで生まれ、故郷やベルリン、ミュンヘンで美術を学びます。

社会的弱者を作品に描いた人ですが、なぜか自画像も多く描いています。

これは笑っている唯一の自画像(1888年頃)で、結婚前に描かれたものです。

結婚後は、医師の夫とベルリンの貧民街(Prenzlauer Bergです。いつか行った Kollwitzplatz や Wasserturm 給水塔があった街区です)に移り住み、貧困や病苦にさらされる患者たちを描きます。

「Ende 終わり」1893ー1897年
「Sturm 職工たちの反乱」1893ー1897年
「Die Pflüger 耕す人」1907年

第一次世界大戦で、次男 Peter ペーターが戦死します(1914年)。長い苦しみの後、戦争を題材に制作を始めます。

「Die Eltern 両親」1919年 これ以降、同じタイトルでの制作を始めます。
「Nie wieder Krieg! 二度と戦争を起こすな!」1924年

ナチス政権からは、反ナチス的な作家として活動を禁じられ、さらに、夫の死、孫の戦死、ベルリン空襲による家財の火災焼失などを経験しますが、ひそかに制作を続けます。

「Turm der Mütter 母たちの塔」1937年頃
「Brot! パンちょうだい!」1924年
「Tot packt eine Frau 死が女を捉える」1934年
「Ruhe in den Frieden seiner Hände み手の安らぎのなかに眠れ」1936年
「Ruf des Todes 死の呼び声」1937年頃
「Mutter mit totem Sohn 死んだ息子を抱く母親」1938年頃
「Die Klage 嘆き」1938年頃
「Saatfrüchte sollen nicht vermahlen werden 種を粉に挽いてはならない」1941年頃 もとはゲーテの言葉だそうすが、子どもを戦争の犠牲にしてはならないという、反戦メッセージとして使われています。